N.ジャンツァンノロブ氏:馬頭琴交響楽団は“モンゴルのブランド”ということを5年前から認めるべきだった プリント
2007/10/17 水曜日 17:55:45 MDT

馬頭琴交響楽団は本当にモンゴル国民の誇りである。彼らの人生は聴衆の万雷の拍と花束に囲まれているように満ち足りた、家族の心も穏やかであるように考えてしまう。

N.ジャンツァンノロブ 

 海外で国を宣伝し、母国でも呼ばれたどこでも演奏する。地味で大人しい若者たち。馬頭琴交響楽団はまもなく誕生日を祝う。彼らの二弦の楽器を通して“ジャンツァンノロブ氏”は衷心からの言葉を述べるそうだ。

 彼が何を話予測しながら、モンゴルの二回国家賞受賞者、国家名誉俳優のナツァグ・ジャンツァンノロブ作曲家と話し合った。彼はまもなく開催されるコンサートについてのほか、馬頭琴演奏者を守りながら厳しい話もした。寂しくかわいそうとも言えるこの発言を誰に対して言っているかを共に聞いてみよう。

 

質問:もうすぐ、ジャンツァンノロブさんのコンサートが行われます。これは馬頭琴交響楽団創立15周年を記念した貴方からの贈り物ですか。

-そうですね、周年を記念したコンサートです。馬頭琴交響楽団も私に送って贈り物かもしれません。

質問:貴方が楽団のメロディーを作曲するからですか。

-バトチョローン先生は周年を記念し「Crescendo」という本を書きました。私が後書きを書くように頼まれました。これは回想本です。Crescendoとはイタリアの音楽用語では“漸増する”という意味です。ですから漸増した15年間という内容の本です。バトチョローン先生はその本に「わが馬頭琴交響楽団の作品の90%がジャンツァンノロブ作曲家の音譜である」と。これが本当であれば、冗談で言ったように私の作品の記念年に変わりますね。

質問:90%とは数字で言えば・・・?

5060ぐらいの作品ではないのかな。馬頭琴に向けた作品だけですね。

質問:貴方は馬頭琴演奏者とより親しみますね。その理由は何ですか。

バレー、歌、ロマンスなども多くありますが。交響楽団と親しむ幾つかの理由があります。バトチョローンと1971年から友人になりました。当時、社会主義各国の首都の優秀青年らの会議がモスクワで行われました。バトチョローンは音楽舞踊大学、私は教育大学の4年生の学生で、お互いをまったく知りませんでした。モスクワの大きな公園で私はピアノ、彼は馬頭琴を共に演奏しました。それでバトチョローンという息子と知り合い、友人につれられ馬頭琴と親しんだのです。二番目は、ノロブバンザド歌手にそそのかされました。1977年に彼女は私が作った長唄を歌い、私たちが知り合ったのです。ずっと何年前でしょう。有名の歌手のノロボーとは自分自身が馬頭琴と長唄ですね。もう一人の誘惑者は芸術功労者のJ.バドラーさんですね。彼は本当に伝染病気。民族伝統を感染させるのです。このように民族芸術に近づきました。大学を卒業し、帰国したら民族芸術は困難な状態になっていたのを気付きました。1983年に民族芸術の全国初コンクールを開催しました。その時、党中央委員会が決議を出していましたよ。1980年ごろ、作曲委員会が会議を開き、バトチョローン氏、ツォグトサイハン氏らの4人が馬頭琴を演奏しました。これで初の4人組みの馬頭琴楽団が創立されました。

 もう一つは1989年の出来事です。ハンギン・ゴムボジャブというアメリカのモンゴル学者がモンゴルで亡くなりました。葬式は中央図書館のホールから始まりました。私は葬式を担当しており、その学者の上にアメリカの国旗をかけ、4人組の馬頭琴楽団が演奏しました。ゴムボジャブさんは存命中に「私はモンゴル人、母国で“骨を置きます”」と。

 そうすると、チボラグという人はいきなり現れてきました。モンゴルに来て馬頭琴というのはこんな素晴らしい楽器というのを見せてくれました。その時に驚いて考えてみました。モンゴル人だけが馬頭琴の素晴らしさを見せることができないのではないかと・・・19895月に内モンゴルで馬頭琴協会を創立する会議にジャミヤン先生とバトチョローンの私たち3人が誘われました。これで母国の楽器の初の協会を創立するために海外の会議に出席しました。

 内モンゴル人はジャミヤン先生にひざまずいたりして・・・あそこにはジャミヤンさんだけの学校があったのです。頭に何かが浮かんできました。いったいこれはどうなっていますかって・・・馬頭琴交響楽団を創立する主な原因はこれでした。いわゆる悔しくなったのですね。それで楽団が生まれました。彼らには演奏する作品が必要になってくるでしょう・・・

質問:例えば、映画「マンドハイ」の音楽です。ちょうどモンゴル的なメロディーですね。

-この映画の曲は私が民族音楽の世界を歩むのに導いてくれたのです。以前映画の曲をオーケストラのために書いていました。このように作曲し始めるまでに内容が浮かびこなく、いくら頑張ってもマンドハイの役が出てこられませんでした。それで、現代音楽を民族音楽と混ぜました。人々の間で評判が高かったので、勇気を出してどんどん書き続けるでしょう。

質問貴方の娘のオーガントヤさんはモンゴル初のプロの女性馬頭琴演奏者。彼女の将来をずっと昔から分かっていましたね。
-幸せにいるとは想像もしませんでした。私は馬頭琴が好きになってしまい、バトチョローンとも親友になっていました。ちょうど、プロ女性演奏者がいても良いのではないかと考え出した時代でした。それでリスクを冒して、ロシア語学校の5年生だった娘を音楽カレッジに転校させたのです。娘を実験に使ってしまいました。「娘に演奏する作品が必要です。日本に行くから作曲してくれないとか・・・」それで音譜が流れ、基本的にこれまでバトチョローンが私を支配していました。
質問:繰りかえって見ると、良い決断を出したのではないですか。

-すでに決まっていましたよ。娘は個人にとって違うジャンルでも成功できる人間です。ちょうど私の母のような粘り強い人です。母は50枚のフェルト製のマットレスを作りました。学校が夏休みに入ると、娘を田舎に行かします。母のところにいて家畜を放牧させ、乳を搾り、乳製品を作ります。こうして娘が母の勤勉な性格など全てに似るようになりました。彼女は芸術大学の文化マネジメント学科を卒業したから、今は交響楽団のマネジメントを担当します。とても忙しい人です。バトチョローンは「父と娘の二人を使う運を持っています」と
質問:15周年の記念コンサートで貴方の90%のいくつが公演されますか。馬頭琴交響楽団のコンサートは4回あると聴きましたが。
-「この4つのコンサートを監督しなさい。自分の作品で1回コンサートを開いてお金を得れば自分でもらってください。フィルハーモニーは資金を出せない」と言われました。

質問:コンサートはUBパレスだそうですね。

-そうです。残りの3つは文化宮殿で開催されます。

質問:お金が集まるコンサートだから、なぜ2回催さないのです。「ゲゲーン・タルデ(広い草原で)」コンサートは二日間も満席だったでしょう。
一日だけです。

質問:以前より人々はメロディーだけを聞くのが増え、交響楽団のコンサートが開催されるのを待つようになりました?
-それはそうですね。切符が売れないという問題がなくなりました。つい最近台湾で演奏しました。交響楽団は本当に素晴らしくなっています。

質問:「ツァガーン・ソバルガ(白き仏塔)」と名付けた理由は?

15周年の縁起の良いこととなっています。馬頭琴交響楽団は15周年の作品で仏塔を建てました。もう一つとは聴衆が私の「ツァガーン・ソバルガ」メロディーが好きです。携帯電話のトーンでも鳴っていますし。数年後に忘れられてしまうかも知れないので、今回のコンサートにこの名前を付けました。コンサートは三つのシーンから成り立ち、1番目は新作品が40分ぐらい公演され、2番目は新登場の歌手がロマンスなどの新歌を40分間歌います。3番目はこれまでのベスト作品を演奏し、聴衆の心を安らげてから終わらせます。

 質問:直接に資金が集まるコンサートではないのですね。

-そうですね、自分のほか、他人を欺いてはいけません。いつものような歌を歌わせるとはあり得ません。テレビ、外でいつも流れている歌で私はまたお金を得る必要はありませんね。

 質問:暇はあまりないでしょうね。

-本当にありません。新登場の歌手の歌う歌を馬頭琴楽団と共に練習します。楽団は徹夜していてとても大変です。
 質問多くの新作品もあるし、「悲みな三つの丘」オペラを馬頭琴を対象に作曲しました。貴方も新作品を練習させたりして。彼らの15周年は大きな記念日でしょう。だけど、新スーツやワンピースを買う時間もなく練習ばかりさせて。聴衆が拍手で刺激を与えるだけですね。

-この子供たちは周年を待ちに待ちました。これは交響楽団にとって国が注目しない、正確な方策を取らなかったら、待ちに待つというのは解散の兆しではないか。

 質問:本当に?そんなことはないでしょう。どういう意味ですか。

3人の琴演奏者と1人の馬頭琴演奏者が日本から長年の契約で協力しようと招待されました。海外での音楽家の友達の生活が安定しているから、あそこに来てと言われているのです。だが、この子達は義理の両親と一緒か、それとも部屋を借りて住んでいます。交響楽団はいつも素晴らしいと言われますが、彼らは外に出てボーズかホーショールのどっちかを食べています。ですから、彼らはこの周年を“心”より待っています。15周年が終ったら・・・こんな状態となっています。彼らは馬頭琴を抱いて世界中を回っているので、誰がどこでどのように生活しているかを全て分かります。

質問:話は少し怖いというか心配させたテーマになってしまいましたが。

-既にこうなっています。例えば、バトチョローンが病気になったら誰が代わりますか。彼はもう若くないですよ。バトチョローンは各演奏者を15年間も統一させることができました。だが、彼らはもう30歳を超えています。「先生、そんなことはありませんよ」、「先生、貴方はこんな生き方で生きろというが、ほかの形でも生活できますよ」と、言えるようになりました。バトチョローンは次に誰を育てましたか。国は何を考えているのでしょうか。馬頭琴交響楽団はこれまでと同じく国立フィルハーモニーの所属で、彼らが得た収入をこのフィルハーモニーが取ってしまって・・・この若者らがこのまま定年になるかなどの問題ですね。

質問:このような問題が次々と出てきますね。世界的に知られており、15年間も国をアピールした若い演奏者らを母国がどう見るべきですか。
 
-目が高くなったこの若者たちはいつまでに大人しくするのですか。現在の馬頭琴演奏の卒業生がみんな海外に行ってしまいます。このように勇気を出した若者は良い生活ができています。しかし、馬頭琴交響楽団は朝9時に来て夜中まで演奏し、大統領が呼んでも公演するし、あちこちの宴会でも演奏します。

質問:喜ぶために15周年を待ちに待っているわけではないのですね。

-これは恐怖でしょう。主な演奏者らが日本に行ってしまいます。娘のオーガナーは別の芸術ジャンルの方に行ってしまいます。30歳になった女性は「一生馬頭琴を演奏しますから、お父さんが稼いで」とはできないでしょう。自分自身の生き方もあるでしょうね。
質問:彼らは15年間も演奏してもう満足したかもしれませんね。

-もう満足したでしょうね。馬頭琴交響楽団はモンゴルの知的なブランドだということを5年前から認めるべきでした。民族芸術宮殿の起工を行い、彼らの給料を上げ、自立させて優れたマネジメントをしていれば、彼らは宮殿で演奏し、資金を集めることができます。それで、隣に一部屋のアパートを建てれば、義理の両親の家から移るでしょう。今はこの楽団が練習すると、あちこちで小さい子供らが走り回ります。本当にかわいそうですよ。
質問:何よりも早く、貴方の言ったとおりに芸術宮殿を建てるべきか、それともどうすればいいのですか。

一つことだけを考えるべきですね。お金を作るものに投資することです。金銀で利益を得るが、それは二度と出てこないものです。採掘しておしまいです。将来に物乞いするため今は金持ちにならなくていいのではないですか。もし、この楽団に投資すれば1020年後でもただお金が入ってくるばかりでしょう。
質問みなさんが自ら宮殿を建てる依頼を高官に寄せたことがありますか。

5年前から依頼して来ました。日本から、宮殿のきれいな設計図も贈ってくれました。投資しようという外国人も多いです。だが、土地はありません。今のバトバヤル市長や以前のエンフボルド市長にも依頼していました。私たちに賄賂としてあげるお金はありません。だけど、あちこちで高いホテルができています。モンゴルのジャーナリストのバーバルさんは100万トゥグルグなど政治家やビジネス経営者が200万余トゥグルグを寄付しています。日本やアメリカ、台湾なども援助してくれるというが、市長と会うと「まだ考えている」と返事するばかりです。
 ザイサン丘の大仏の裏側か、以前のピオネール宮殿の裏側の場所はとてもいいところです。中央スタジアムの国章、政府庁舎の国章、外務省の国章、ピオネール宮殿の屋根がちょうど対称的です。これらと並んで民族芸術宮殿があればいいねと思いまして。演奏者らも事務室ができれば、国民に対して馬頭琴を教えることができますし。現在、交響楽団に習いたいという人の数が大変増えています。このような不動産があれば、どんな機関も解散しません。

質問:彼らが、周年の記念日で一番待っている大きな贈り物とは?

交響楽団が国家名誉ブランドになったことを誰が言い出すかを待っています。各国への首脳訪問や世界万博など、全ての公式な行事で彼らが演奏しています。このように認めているけれど、こんな状態になっていることをみんなが無視します。

質問:皆さん、ベルを鳴らすのですね?

私たちが鳴らすのではなく、ベルが自ら鳴っているのです。このような状態で将来はうまくいけません。10年前に海外に連れていっていた際に男子が食事をしてから、お互いに相撲を取ったり、女子らがあちこちの噂をしゃべったりしていましたが、今はもう大人になりましたね。 (today news)



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