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インタービュー「宇宙飛行士は全モンゴル人の誇り」 ジュグデルデミド・グルラグチャー飛行士が宇宙に飛行して、モンゴル国の名前を世界中に響かせてから28年になる。 
1981年3月22日、バイコノール宇宙基地からモンゴルの飛行士J.グルラグチャー氏がロシアのジャニベコフ飛行士と共に宇宙に飛んだ。モンゴル人が宇宙飛行したのはアジア人として2番目だった。 今回のインタビューは当時、宇宙飛行調整委員会総書記であったCh.ダワーダシ博士との一問一答。彼は一人の宇宙飛行士が飛行したのではなく、全モンゴル人が飛行したことを思い出しながら話してくれた。博士は1944年ゴビアルタイ県ハリョン郡生まれ。1966年~1977年モスクワ国際大学卒業。現在、「シヒホタグ」法律大学の副学長である。 問:当時、宇宙飛行は各国で盛んに行われていましたね。モンゴルは準備事業にどのぐらい時間をかけましたか? モンゴルは宇宙飛行の準備事業に5年間かけました。1977年5月から飛行士の選考を始めました。13人が3回の健康診断を終えた後、ロシア語の能力を調べてからJ.グルラグチャーさん(宇宙飛行士になった)、M.ガンゾリグさん、D.スレンホルローさん、S.サインツォグさんらを選びました。1978年3月4日の決定でJ.グルラグチャーさん、M.ガンゾリグさんを宇宙飛行士候補に選び、ロシア宇宙研究所で急速な教育を始めました。 問:この二人は1977年から1981年まで帰国しませんでしたか? 二人は1979年6月に一時帰国しました。二人を迎える準備としてバガ・テンゲル(迎賓館)で3つのモンゴル・ゲルを建て、1つのテントを張り、2台の車を準備しました。6月24日には魚釣りにも行かせました。そして、7月13日にロシアの宇宙研究所へ戻りました。 問:モンゴル人の宇宙飛行士の準備や特徴は? 宇宙飛行士の服装に貼る4種類のバッチやロゴなどはドイツの繊維工場で1980年に作ってもらいました。モンゴルの飛行士は30種類のものを持って行きました。例えば、国旗、ブレジネフ首相、ツェデンバル書記長の写真、「平和」じゅうたん、10トゥグルグの紙幣、切手、干し肉など。 5種類のポスターを8000枚、2種類のバッチを3万個、切手、印鑑、「ボロル」ウォッカなど42種類の8000個の品々は1981年3月までに既に整えていました。また、アルタンボラグ、ハルハゴル、エルデネトの土壌からサンプルを取り、それを記念物として飛行士に贈りました。モンゴル国内ではマッチ、キャンディ、ジュース、帽子、ウォッカなど新しい製品が次々にできました。宇宙飛行調整委員会は3件の書類、2000枚の広告資料を作成しました。ゴムボスレン画家だけが84種類の134枚の絵を描きました。 問:当時、宇宙飛行記念としてマスメディアやテレビはどんな放送がありましたか? また、ドラマやドキュメンタリーを制作しましたか? その時は、国内外の40あまりの新聞や雑誌に400あまりの大きな記事が掲載されました。3本のドキュメンタリー、ドラマが制作されて、写真アルバムが発行されました。モンゴル・テレビは105時51分、ラジオは1859分の放送をしました。宇宙をテーマにした詩は40、歌は30生まれました。 宇宙飛行を取材する36人の記者や作家も準備していました。モンゴルの飛行士と宇宙に飛んだロシアの英雄ジャニベコヴ飛行士らはモンゴルに8日間戻って来た際に22回のインタービューを受け、その事業グループには2万2150人が参加していました。 (Montsame)
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